名古屋地方裁判所 平成2年(行ウ)42号 判決 1993年2月12日
原告
宮崎邦彦
右訴訟代理人弁護士
太田寛
被告
名古屋市人事委員会
右代表者委員長
吉田清
右訴訟代理人弁護士
冨島昭男
同
宮澤俊夫
同
小川淳
主文
一 被告が、平成二年八月二日付でした原告の昭和六二年三月二六日付要求にかかる勤務条件に関する措置の要求のうち、原告の志賀中学校における昭和六二年三月二七日以降の超過勤務を解消すること及び昭和六一年四月一日から昭和六二年三月二六日までの間の原告の超過勤務に対してこれに見合う賃金を支払うことを求める要求についてはこれを取り上げることができないとの判定を取り消す。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用はこれを三分し、その一を原告の負担、その余を被告の負担とする。
事実及び理由
第一請求
被告が、平成二年八月二日付でした原告の昭和六二年三月二六日付要求にかかる勤務条件に関する措置の要求を取り上げることができないとの判定を取り消す。
第二事案の概要
本件は、名古屋市立志賀中学校の教諭である原告が、被告に対し、地方公務員法(以下「地公法」という。)四六条に基づき、同中学校における超過勤務の実態の調査、解消及び既になされた超過勤務に対して賃金を支払うことを内容とする措置要求をしたところ、被告がこれらをいずれも取り上げることができない旨の判定をしたため、その判定の取消を求めた事案である。
一 争いのない事実
1 原告の経歴等
原告は、昭和四四年四月一日、名古屋市教育委員会から名古屋市立東港中学校教諭に任命された者である。
原告は、昭和六〇年四月一日以降は名古屋市立志賀中学校(以下「志賀中学校」という。)教諭に補され、同校で勤務し現在に至っている。
2 超過勤務の存在とその改善要求
原告は、昭和六一年四月から昭和六二年三月まで、志賀中学校における三年生の授業を担当し三年六組の担任となったが、その間の同中学校における勤務時間の割振りは、月曜日から金曜日については、午前八時一五分から午後四時まで及び午後四時四五分から午後五時までが勤務時間(ただし、右時間中には、午前八時一五分から午前八時三〇分まで及び午後四時四五分から午後五時までの休息時間を含む。)、午後四時から午後四時四五分までが休憩時間とされ、土曜日については、午前八時一五分から午後零時一五分までが勤務時間(ただし、右時間中には、午前八時一五分から午前八時三〇分までの休息時間を含む。)とされていた。
しかし、実際には学年会等が勤務時間を越えて行われることがあったことから、原告は、学年会、進路指導委員会が勤務時間を越えて継続されることが常態化していることについて、当時同中学校の校長であった近藤敬三に対して改善を求めたが、その後も学年会等が勤務時間を越えて行われることはなくならなかった。
3 原告の措置要求
そこで、原告は、地公法四六条に基づき、昭和六二年三月二六日付で、被告に対し、左記の二項目の措置を求める勤務条件に関する措置の要求を行った(昭和六二年人委(措)第三号事案、以下「本件措置要求」という。)。
記
(一) 志賀中学校職員の膨大な超過勤務の実態を把握するとともにこれを解消すること。
(二) 昭和六一年四月一日から本件措置要求時現在(昭和六二年三月二六日)までの要求者を含む全職員の超過勤務実態を調査し、給与権者はこれに見合う賃金を支払うこと。
4 被告の判定
被告は、平成二年八月二日、原告の本件措置要求に対し、「要求者の要求は、いずれもこれを取り上げることができない。」との判定を下した(以下「本件判定」という。)。
その理由の要旨は次のとおりであった。
(一) 本件措置要求(一)について
本件措置要求(一)の趣旨は、将来において時間外勤務が生じないようにすることにあると解されるところ、将来において学年会などに関して行う勤務について時間外勤務が生じるか否か、また、どのような勤務についてどの程度の時間外勤務が生じることになるかは予測が困難であり、本件措置要求(一)は現実的に具体性をもった勤務条件についてその維持改善を求めるものではないから、勤務条件に関する措置要求の対象とはなり得ないものである。
(二) 本件措置要求(二)について
義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置条例(昭和四六年一二月二四日愛知県条例第五五号、以下「給特条例」という。)三条は、義務教育諸学校等の教育職員には、職員の給与に関する条例(昭和四二年三月二四日愛知県条例第三号、以下「給与条例」という。)一五条の適用を排除して時間外手当は支給しないものとしており、被告は時間外手当について措置をする権限を有していないから、勤務条件に関する措置要求の対象とはなり得ないものである。
二 争点
1 原告の主張
(一) 本件措置要求(一)について
地公法は、団体協約を締結する権利を認めず、争議行為を禁止し、労働委員会に対する救済申立の途を閉ざしたことの代償として、職員の勤務条件の適法な判定を要求することを職員の権利として保障したものであるから、措置要求の申立の要件をあまり厳格にすることは、職員の右権利を侵害するものであって妥当ではない。
原告が本件措置要求(一)を申し立てた背景には、志賀中学校において教諭が時間外勤務をしばしば行わざるを得ず、特に三年の担任については、高校進学という大変な事務作業を要するために学年会等が時間外にまで行われることが日常化し、複合選抜制度の導入後はそれが著しくなり、日程等の関係から時間外勤務が常態化していたという状況が存在する。
将来予想される時間外勤務について、その日時や勤務を行わざるを得ない具体的時間まで特定することはもともと困難である。しかも、三年生の担任について進学事務を集中的に行わなければならない一〇月以降時間外勤務を行わざるを得ないということははっきりしているのであるから、措置要求を求める前提として必要な具体的可能性のある勤務条件としてはこの程度の具体性で十分というべきである。
したがって、本件判定は、地公法四六条の解釈を誤り、措置要求の対象とされる勤務条件の範囲をいたずらに厳格に解した違法があるから、取り消されるべきである。
(二) 本件措置要求(二)について
給特条例三条が、教育職員に対する関係で時間外勤務手当について規定した給与条例一五条の適用を排除しているのは、教育職員に対しては時間外勤務を命じないことを原則とする(給特条例七条一項)一方、教員の職務の特殊性から時間外勤務を完全に排除することができないため、時間外勤務を命ずることができる場合を限定した(給特条例七条二項)うえで、その時間外勤務に対する包括的な補償として調整額を支払うという前提の下で例外的に認められるものである。それゆえ、給特条例で認められている場合以外の時間外勤務が行われたときには、この時間外勤務にかかる業務には給与条例一五条の適用は排除されず、原則に戻って時間外勤務手当の支給を要するものと解すべきである。
したがって、本件判定は、給特条例三条の解釈を誤り、いかなる場合にも時間外勤務に対する手当は支給されないことを前提として本件措置要求事項が措置要求の対象となり得ない旨判断した違法があるから、取り消されるべきである。
2 被告の主張
(一) 本件措置要求(一)について
措置要求の対象となる勤務条件は、要求者にとって一定の現実的な具体性を有していることを必要とするというべきであって、将来起こるか否かまたどのように起こるかが不確定で、かつ、その予測が困難な事項についてまで要求を容認する必要性の有無を判断することは、措置要求制度の予定するところではない。
本件措置要求(一)は、以下の理由で原告にとって現実的な具体性をもった勤務条件ではないというべきであるから、措置要求の対象としての要件を欠くというべきである。
(1) 原告が本件措置要求(一)の理由として挙げている時間外勤務は、三年生の担任に関わる業務であるところ、志賀中学校においては、担任する学年は一年生、二年生、三年生の順番で変わってゆくことが通例であって、昭和六一年度において三年生を担当した原告が再び三年生を担当するのは数年先になることが予測されたから、原告が数年先に三年生の担任になったときの時間外勤務の状況を被告が予測し、これに基づいて判断することは困難である。
(2) 原告が本件措置要求(一)の理由として挙げている生徒の進学決定のための学年会及び進路指導委員会が勤務時間を越えたのは、昭和六〇年度から私立学校の入試制度が変更されたことによる不慣れにより、時間外勤務を余儀なくされていたという当時の特殊事情によるものであったから、その後も三年生の担任になれば常に膨大な時間外勤務を行わなければならないという状況が続くかどうかは予測が困難である。
(3) 志賀中学校校長は、学年会などに関して時間外勤務を命じたことはないし、かえって直接それらの運営にあたる学年主任を通じて勤務時間を考慮するよう指示しており、また、進路指導委員会等については、授業時間を短縮し時間外勤務とならないよう配慮していたから、将来において昭和六一年度と同様な時間外勤務が生ずるかどうかは予測が困難である。
(4) 原告が本件措置要求(一)の理由として挙げている生徒指導が勤務時間を越えたのは、昭和六一年度当時の特殊事情によるものであったし、校長等の命令により行ったものではなく、在学生徒に対する指導という性質から、緊急に処理しなければならないものとして原告が自発的に行ったものであるから、その後も将来において同じような状態が続くかどうかは予測が困難である。
(二) 本件措置要求(二)について
地公法四六条による措置要求制度は、職員が、給与、勤務時間その他の勤務条件に関し、人事委員会または公平委員会に対して、地方公共団体の当局により適当な措置がとられるべきことを要求する権利であって、この要求があったとき、人事委員会または公平委員会は、事案を審査、判定し、その結果に基づいて、自らの権限に属する事項については自らこれを実行し、地方公共団体の他の機関の権限に属する事項については当該機関に対して必要な勧告を行わなければならない。
したがって、措置要求の対象となるのは、地方公共団体の当局がその権限に基づいて正当に措置し得る範囲内の事項に限られるのであって、たとえ勤務条件に該当するものであっても、法律の制定又は改廃を経なければ措置することができないことがらを求める要求は、措置要求の対象としての要件を欠くというべきである。
そして、給特条例は、国立及び公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法(以下「給特法」という。)の規定を受けて、その七条において、教育職員に対して時間外勤務を命ずることができる場合を生徒の実習に関する業務等四項目の業務に限定する一方、三条において、教育職員に教職調整額を支給することとして、給与条例一五条の適用を排除し時間外手当は支給しないとしており、右給特法・条例が改正されない限り、被告はもとより、名古屋市教育委員会その他地方公共団体のいかなる機関も時間外手当について措置をする権限を有していないから、本件措置要求(二)は措置要求の対象としての要件を欠くというべきである。
(三) したがって、本件措置要求はいずれも取り上げることができないとした本件判定は適法なものである。
第三争点に対する判断
一 措置要求制度について
1 措置要求制度の趣旨
地公法四六条の措置要求制度は、同法が職員に対し労働組合法の適用を排除し、団体協約を締結する権利を認めず、争議行為を禁止し、労働委員会に対する救済申立の途を閉ざしたことに対応し、職員の勤務条件の適正を保障するため、職員の勤務条件につき人事委員会又は公平委員会の適法な判定を要求しうべきことを職員の権利ないし法的利益として保障する趣旨のものと解すべきである(最高裁判所昭和三六年三月二八日民集一五巻三号五九五頁)。
すなわち、勤務条件に関する措置要求の制度は、職員が、労働基本権を制限された代償として、職員としての地位に基づいて有する職員の勤務条件の維持改善その他の経済的地位の向上を目的として適法な判定を要求することを職員の権利として保障したものということができる。
2 措置要求の対象
地公法四六条は、措置要求の対象を「職員の給与、勤務時間その他の勤務条件」と規定しているが、これは同法五五条一項の団体交渉の対象事項として定める勤務条件と同一の用語であり、同じく国家公務員の労働基本権の制限に対する代償措置として設けられている国家公務員法八六条の俸給、給与その他あらゆる勤務条件に関する行政措置要求の規定とも同義であると解されるので、職員が地方公共団体に対し勤務を提供するについて有する諸条件で、職員が自己の勤務を提供し、又はその提供を継続するか否かの決心をするにあたり、一般的に当然考慮の対象となるべき利害関係事項であるものを指すと理解することができる。
そして、具体的には、給与、勤務時間、休暇以外に旅費の種類、金額及び支給条件の改善、執務環境の改善、採光及び換気施設の改善、庁舎の拡充、地公法四五条一項、三項に定める以外の公務災害補償に関する事項などがその対象として考えられる。
二 本件措置要求(一)について
1 本件措置要求(一)の趣旨
前記争いのない事実、原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、本件措置要求(一)の趣旨は、本件措置要求時の翌日である昭和六二年三月二七日以降について、原告を含む志賀中学校の全職員が従事することの予想される時間外勤務を解消することを求めることにあることが認められる。
ところで、前記の措置要求制度の趣旨に鑑みると、原告が自分の勤務条件とは関係のない第三者の勤務条件について措置を求めることは、地公法四六条の容認しないところと解すべきである。
したがって、本件措置要求(一)のうち、原告が自分以外の志賀中学校の職員の従事することが予想される時間外勤務を解消することを求める部分については、その余の点について判断するまでもなく、措置要求の対象としての要件を欠き不適法といわざるを得ない。
2 措置要求の対象の具体性についてところで、原告が本件措置要求(一)において求めている原告自身が従事することの予想される時間外勤務の解消の要求が、代表的な勤務条件の一つとして一般的に措置要求の対象事項と解されることは既に述べたところから明らかである。
そして、要求者が措置要求の対象として将来予想される時間外勤務の解消を求める場合、その時間外勤務が将来において行われるものである以上その実現が一〇〇パーセント確実であるということは有り得ないところであって、それが将来起こるか否かまたどのような態様で起こるかについては、大かれ少なかれ不確定性を内包していることを避けることはできない。したがって、措置要求の適法要件として、その対象の具体性及び発生の確実性をあまり厳格にすることは、労働基本権の制約の代償として職員に保障された措置要求権の行使を困難にするものであって妥当ではないというべきである。
また、要求者が将来時間外勤務に従事するかどうか、従事するとしてどのような内容、程度の時間外勤務に従事することになるのかを判断するについては、当該要求者の勤務場所における勤務の実態についてある程度の事実調査を必要とするのであって、その調査の結果要求者が将来時間外勤務に従事する可能性が少ないことが認められる場合には、その時点で要求者の勤務条件について特に改善の措置を勧告する必要性がないとして要求者の要求を認めない旨の実体判断をすれば足り、あえて、事前に、措置要求の対象事項の具体性、確実性を措置要求の適法要件としてこれに制限を加える必要はないと考えられる。
3 本件措置要求(一)の適法性についてそこで、右の観点から本件措置要求(一)の適法性について検討する。
まず、本件措置要求(一)の趣旨が、本件措置要求時の翌日である昭和六二年三月二七日以降に原告が従事することの予想される時間外勤務の解消を求めることにあることは前記認定のとおりであり、原告が将来志賀中学校の三年生を担当する時点における時間外勤務の解消のみを求めているものではないから、この要求を受けた被告としては、まず、本件措置要求に近接した時点において原告が時間外勤務に従事するかどうかを調査し、その調査結果に基づいて右事実の有無を認定する必要があったといわなければならない。なぜなら、本件措置要求(一)の趣旨から考えて、少なくとも本件措置要求に近接した時点における原告の時間外勤務の可能性については、措置要求の対象に具体性、確実性がないとはいえないことが明らかであるからである。したがって、この点において既に右事実の調査、確認をせずに本件措置要求(一)を不適法であるから取り上げないとした被告の本件判定に瑕疵のあることは明らかである。(<証拠略>によれば、被告は、右事実について要求者である原告本人及び志賀中学校における当時の校長近藤敬三から事情聴取を行っていることが認められるが、本件判定の中でその調査結果に基づく被告としての事実認定及び判断を示していない以上、その瑕疵が治癒されるものではない。)
また、(人証略)及び原告本人尋問の結果によれば、原告が本件措置要求(一)の理由として挙げている時間外勤務は、主として三年生の担任に関わる業務であること、志賀中学校においては、担任する学年は一年生、二年生、三年生の順番で変わってゆくことが通例であること、志賀中学校の教諭が特定の学級担任を担当することは通常の事態であることが認められる。しかし、原告が次年度においても、三年生の学級担任あるいはこれと密接な関係にある職務に就かないことの保障はないのみならず、学級担任のローテーションが一回りする三年間を見据えて時間外勤務の有無を判断することも決して不当なことではないというべきであるから、本件措置要求(一)の対象が三年先の勤務条件であることを理由に、具体性、確実性をもたないとする被告の主張は、これを採用することができない。
したがって、この点からみても本件措置要求(一)を不適法であるから取り上げないとした被告の本件判定には瑕疵があるといわざるを得ず、取消を免れないというべきである。
三 本件措置要求(二)について
1 本件措置要求(二)の趣旨
前記争いのない事実、原告本人尋問の結果及び結論の全趣旨によれば、本件措置要求(二)の趣旨は、昭和六一年四月一日から本件措置要求時現在である昭和六二年三月二六日までの間に原告を含む志賀中学校の全職員の行った超過勤務に対し、その対価としての賃金を支払うことを求めることにあることが認められる。
ところで、原告が自分の勤務条件とは関係のない第三者の勤務条件について措置を求めることは、地公法四六条の容認しないところと解されることは既に述べたとおりであるから、本件措置要求(二)のうち、原告が自分以外の志賀中学校の職員の行った超過勤務に対して賃金の支払を求める部分については、その余の点について判断するまでもなく、措置要求の対象としての要件を欠き不適法といわざるを得ない。
2 措置要求制度の限界
ところで、原告が本件措置要求(二)において求めている原告自身が行った超過勤務に対する賃金の支払要求が、代表的な勤務条件の一つとして一般的に措置要求の対象事項と解されることは既に述べたところから明らかである。
しかし、地公法四六条による措置要求制度は、職員が勤務条件に関し、人事委員会又は公平委員会に対して、地方公共団体の当局により適当な措置がとられるべきことを要求する権利であって、この要求があったとき、人事委員会又は公平委員会は、事案を審査、判定し、その結果に基づいて、自らの権限に属する事項については自らこれを実行し、地方公共団体の他の機関の権限に属する事項については当該機関に対して必要な勧告を行わなければならないこととなる。
したがって、措置要求の対象となるのは、地方公共団体の当局がその権限に基づいて正当に措置し得る範囲内の事項に限られるのであって、たとえ措置要求の対象事項としての勤務条件に該当するものであっても、法律の制定または改廃を経なければ措置することができないことがらを求める要求は、措置要求の対象としての適法要件を欠くというべきである。(この点に関する解釈については、原告においても特に争うものではないと解される。)
そこで、以下この点につき検討を加えることとする。
3 超過勤務手当請求権に関する法令の解釈について
原告が名古屋市教育委員会から名古屋市公立学校教員に任命された者であることは前記のとおりであるから、まず、当事者の主張に即して、公立の中学校の教員としての身分、給与その他勤務条件に関し、原告に適用されるべき法律、条例について概観すると次のとおりである。
(一) 学校教育法に定められた学校の教員に対して適用される教育公務員特例法三条によれば、原告は、地方公務員としての身分を有している者であり、また、地方公共団体における教育機関の職員の身分取扱その他について定めた地方教育行政の組織及び運営に関する法律の適用をも受ける者であるところ、同法三五条によれば、その任免、給与、懲戒、服務その他の身分取扱に関する事項は、この法律及び他の法律に特別の定めがある場合を除き、地公法の定めるところによるとされ、同法二四条は、労働基準法(以下「労基法」という。)の特則として、職員の給与、勤務時間その他の勤務条件の根本基準を定めるとともに、その六項において、職員の給与、勤務時間その他の勤務条件は、条例で定めるものとし、更に、同法二五条一項は、職員の給与は、前条第六項の規定による給与に関する条例に基づいて支給されなければならず、また、これに基づかずには、いかなる金銭または有価物も職員に支給してはならないとしている。(なお、特に地方教育行政の組織及び運営に関する法律四二条は、県費負担教職員の給与、勤務時間その他の勤務条件については、地公法二四条六項の規定により条例で定めるものとされている事項は、都道府県の条例で定めるとされているから、弁論の全趣旨により県費負担教職員と認められる原告の給与、勤務時間その他の勤務条件については、右規定によって愛知県条例によって定められることとなる。)
また、地公法二四条六項に基づき制定された給与条例は、その二条において給与の種類を、給料、扶養手当、調整手当、時間外勤務手当等の各種手当と定め、給料は職員の勤務時間、休日、休暇等に関する条例(昭和四二年三月二四日愛知県条例第四号、以下「勤務時間条例」という。)第三条に規定する勤務時間(以下「正規の勤務時間」という。)による勤務に対して支給され(給与条例三条)、時間外勤務手当は、正規の勤務時間以外の時間に勤務することを命ぜられた職員に対して、その正規の勤務時間以外の時間に勤務した全時間について(同一五条一項)、その額は勤務一時間につき、第二八条に規定する勤務一時間当たりの給与額に一〇〇分の一三〇(その勤務が午後一〇時から翌日の午前五時までの間である場合は、一〇〇分の一五〇)を乗じて得た額が支給される旨定めている(同条二項)。
(二) ところで、国立及び公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与その他の勤務条件については、給特法によりその特例が定められているが、同法は、その一〇条において、地方公務員である教育職員についても、公務のために臨時の必要がある場合においては、労基法三三条三項による時間外労働を命ずることができることとして、労基法三二条の三ないし五のほか、それまでこれらの職員に適用されていた同法三七条の時間外、休日及び深夜勤務による割増賃金に関する規定の適用を排除している。
そのうえで、給特法八条及び一一条を受けて公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与その他の勤務条件について特例を定めた給特条例は、その三条一項において、義務教育諸学校等の教育職員(ただし、校長等一定以上の等級、号俸にある者は除かれている。)には、その者の給料月額の一〇〇分の四に相当する額の教職調整額を支給する旨定める一方、教職調整額の支給に関し必要な事項は、人事委員会規則で定めるとし(同条二項)、更に、右教育職員については、給与条例一五条及び一八条の規定は適用しない旨を定めており(同条三項)、右給特法一〇条、給特条例三条の規定文言を形式的に理解すると、教職員が正規の勤務時間以外に勤務を命ぜられて勤務した場合は、それがいかに無定量、無制限に及んだとしても、時間外勤務手当の支給は受けられないことになるものと理解することも可能である。
(三) しかし、他方、給特法一〇条は、時間外労働を命ずる場合は公務員の健康及び福祉を害しないように考慮しなければならない旨規定し、給特条例も七条において、正規の勤務時間の割振りを適正に行い原則として時間外勤務(正規の勤務時間をこえる勤務をいい、勤務時間条例第八条第三項に規定する日における正規の勤務時間中の勤務を含むものとする。)は、命じないものとし(同条一項)、教育職員に対し時間外勤務を命ずる場合は、次に掲げる業務に従事する場合で、臨時又は緊急にやむを得ない必要があるときに限るものとする(同条二項)旨を定め、時間外勤務を命ずることのできる業務として、生徒の実習に関する業務、学校行事に関する業務、教職員会議に関する業務及び非常災害等やむを得ない場合に必要な業務の四業務を具体的に特定して掲げ、時間外勤務を命ずることに対して一定の制約を課しているところからすると、右給特法一〇条及び給特条例七条に反して無定量、無制限に時間外勤務が命ぜられるようなことは、もともと給特条例の予定しないところであるから、仮に、右条項所定の要件を充していないのに時間外勤務命令が発せられた場合、それは同条に違反する違法なものと解せざるを得ない。そうとすれば、このような違法な命令が発せられ、教職員が現実に時間外勤務に従事した場合、当該教職員が給与(賃金)その他当該労働に対する対価として何らかの請求権を取得するのか否かについては、前記給特法一〇条及び給特条例三条の規定文言を形式的に理解するだけではなく、更に慎重な検討を要するところといわなければならない。
(四) そこで、給特法及び給特条例が教職調整額の支給により教職員に対する時間外勤務手当を支給しないものとする一方、時間外勤務について前記のような制約を設けた趣旨について、更に考察することとする。
(1) 給特法及び給特条例の立法趣旨は、教育が、教師と児童生徒との間の直接の人格的接触を通じて、児童生徒達の人格の発展と完成を図るという本質的要請をもつものであることから、教師の仕事は、その重要性とともに時間とか目に見える結果などによっては計測できないという性質をもつことに加え、教育という重要な職務に携わる教師としての自発性、想像性に基づき遂行されなければならない部分が少なくないこと、勤務の形態も、夏休みその他の長期の学校外における研修期間の存在など、一般職員に比べて極めて特殊な勤務形態が認められていること、また、職務の内容も勤務時間中の授業活動のように教師の本来の職務であることの明らかなもののほかに、自宅におけるテスト等の採点、教材の検討、準備などといった仕事の内容自体は教師本来の職務の遂行であることは比較的はっきりしているもの、時間管理の難しさという点で特殊性のあるものから、職員会議、各種教育研修会への出席等の本来の職務に付随する業務と認められるべきもの、あるいは一般に学校で行われているクラブ活動の指導、校外補導などのように本来の職務か否かが必ずしもはっきりしないもの、あるいはまた、PTA活動、生徒、父母からの相談等に応対する行為などのように、広義では教育活動といえるものの、直ちには業務ないし職務行為とはいい難いものまで千差万別であること、これに対応して、職務の遂行にあたり、教師の自覚、自発的意思あるいは自由な意思によることに多くを期待されているものから、教師の自覚、自発的意思によることが望ましいことに変わりはないが、そのような自発的、自由な意思といったものから離れて、校長等からの職務命令により義務としてなされなければならないものまで、種々異なった性格を有するものがあり、結局、教師の仕事は、どこからどこまでが本来の業務ないし職務であるのか、拘束されるべき時間ないし勤務なのか、あるいはそれが単に教師の自発的、自由意思に基づいて行われているのか、それとも業務ないし職務としてなされているのかを明確に割り切ることが困難であるという特殊性を有していること、このような教育という職務の特性に鑑み、給特法及び給特条例は、教職員の職務の重要性、特殊性、勤務の実態に対し再評価を加え、給与の上で優遇措置を講ずるとともに、これまで正規の勤務時間外に勤務した場合の取扱いが必ずしも明確でなかった実情を踏まえ、勤務時間の管理の面でもより実態に適した合理的なものにしようとの趣旨で、時間外勤務に対する割増賃金に関する労基法三七条、給与法、給与条例の各規定の適用を排除し、これに対する代償措置として給料の四パーセントの教職調整額を支給することにしたものと解される。
したがって、給特法及び給特条例の立法者が右の代償措置を講ずることによって時間外勤務を含めた教職員の実際に行っている職務全体を包括的に評価し、事由のいかんを問わず時間外勤務手当等を支給しないこととする意思であったことは否定できないところであり、また、こうした経緯で制定された給与法及び給与条例の特別法である給特法及び給特条例の規定を解釈するにあたって、これら特別法の基本規定である給特法三条及び給特条例三条の適用されない領域が当然に存在するかのような解釈(原告の主張する解釈はこれを前提とする。)をとることには直ちには賛成することができない。
(2) しかし、教職調整額の支給によって現実に行われている時間外勤務等がすべて包括的に評価されていることを前提とするならば、そもそも給特条例七条の定めるように時間外勤務を命じ得る場合を四項目に限定列挙する必要はないはずであるし、前記のとおり、給特法及び給特条例の立法に伴って制定、追加された特殊勤務手当に関する人事院規則、教員特殊業務手当に関する人事委員会規則は、右限定列挙項目中「学校行事に関する業務」及び「非常災害等やむを得ない場合に必要な業務」の二項目について特に教員特殊業務手当の対象とし、また、「人事委員会が定める対外運動競技等において児童または生徒を引率して行う指導業務で、泊を伴うものまたは勤務を要しない日、指定週休日若しくは休日に行うもの」「学校の管理下において行われる部活動(正規の教育過程としてのクラブ活動に準ずる活動をいう。)における児童又は生徒に対する指導業務で勤務を要しない日又は土曜日若しくはこれに相当する日に行うもの」といった限定四項目以外の事項について、休日、時間外の業務に従事する場合のあることを予定した規定を置き、これに対しても教職調整額の支給に加えて更に特殊業務手当を支給すべきものとしているが、これは限定四項目を含めた教職員の時間外勤務等は教職調整額の支給によって十分に評価されているという前提と矛盾するといわなければならない。
そのうえ、教職員の職務の特殊性、勤務の実態、内容は千差万別であって一義的に確定することは困難であり、敢えて確定することも望ましいものではないことは前記のとおりであるから、教職員の職務の再評価といっても果してどの段階まで評価したものかを確定することは容易ではないし、また、こうしたすべての事情を評価し尽くしたとみるのも必ずしも相当ではない。なぜなら、教職調整額を支給することの趣旨は、単に職務の再評価ということのほかに教職員の教育活動に対する考慮を含め給与等の勤務条件そのものの改善を図ることにもあったという意味を軽視することはできないし、一般的に、労基法三七条は労働者の労働条件の最低の基準を定めたとされる労基法の中でも、これに違反した使用者に対して付加金の支払を命じ、あるいは刑罰を課すなどして強く労働者の保護を図っている重要な規定であるから、その適用を排除するにあたっては十分慎重でなければならないからである。このことは、給特法制定過程においても、右の見地から中央労働基準審議会での審議を経、更に前記のような教職員の職務の重要性、特殊性、教育活動の実態に対しても十分配慮検討を加えたうえで前記のとおりの時間外勤務を命じ得る範囲等についての制限規定が設けられたものであること、また、時間外勤務等を命ずるにあたっても公務員の健康及び福祉を害しないように考慮しなければならない旨を規定し、前記のとおり教員特殊業務手当の制度を設け、あるいは教職調整額の支給方法等について規定した人事院規則九―五七及び給特条例四条、五条が、もともと時間外勤務手当等の支給を受けられない教職員に対しても、教職調整額の支給を受けることになった教職員について教職調整額を給与に準じて取り扱うこととしたこととの均衡を図る趣旨で、それぞれの給料表月額に人事委員会規則で定める額を加えた額をもって給料月額とする措置を講じていることからも認められるところである。
(五) 以上のような給特法及び給特条例の立法の趣旨、経緯、文言に照らすと、給特条例三条一項所定の教職調整額の支給は、前記のような特殊性をもった教職員のすべての教育活動を業務ないし職務としたうえで、これに対する必要にして十分な代償措置(対価)としてなされたものと認めるには困難が伴うところである。これを給特条例に即していえば、給特条例七条を単なる訓示的規定と解し、これに違反した職務命令に従って教職員が現実に教育活動に従事した場合に、そのような職務命令に従って教職員が時間外勤務等をするに至った経緯、従事した教育活動の内容あるいは勤務の実情等について何らの顧慮を払うことなく、教職調整額が支払われているとの理由で、時間外勤務手当等が一切支給されないと解することは、前述した給特法及び給特条例の立法趣旨に必ずしも合致するものではないし、これに反して、同条所定の要件を充さない時間外勤務等の職務命令があった場合に、当然に時間外勤務手当等の請求ができるとすることも、前述のとおりの給特法及び給特条例の立法趣旨に反する見解であって採用することはできない。
そこで、給特条例七条に限定的に列挙された事項を越えて職務命令が発せられ、教職員が当該職務に従事した場合について、給特条例三条によって教職員の時間外勤務手当等に関する給与条例の規定の適用が当然に排除されるということはできず、そのような時間外勤務等が命ぜられるに至った経緯、従事した職務の内容、勤務の実情等に照らして、それが当該教職員の自由意思をきわめて強く拘束するような形態でなされ、しかもそのような勤務が常態化しているなど、このような時間外勤務等の実情を放置することが給特条例七条が時間外勤務等を命じ得る場合を限定列挙して制限を加えた趣旨にもとるような特別の事情の認められる場合には、給特条例三条によっても時間外勤務等に関する給与条例の規定は排除されないものと解すべきである。したがって、このような場合に発せられた命令に従って教職員が業務ないし職務に従事したときは、当該教職員が当該労働に対する対価として本来取得すべき給与請求権までは排除されず、このような場合に時間外勤務手当等の請求を受けた給与負担者は、当該職務命令が法令に違反し無効であることを理由にその支払を拒むことは信義公平の原則に照らし許されないと解するのが相当である。
(六) 被告は、現行法上名古屋市教育委員会その他地方公共団体のいかなる機関も時間外勤務手当について措置をする権限を有していないと主張するけれども、右時間外勤務手当等の支給は、給特条例三条の規定が適用されない場合があることが認められた結果、給与に関する基本規定である給与条例によって手当の支給が認められる余地があるというものであって、法令上の根拠を有し、地公法二五条一項及び地方自治法二〇四条の二の規定に違反するものではないことは明らかであるから、これを採用することはできない。
4 結論
以上のとおり、本件措置要求(二)のうち、原告自身が行った超過勤務に対する賃金の支払要求については、場合によっては、法律の制定又は改廃を経ることなく被告において当局に対し勧告等の措置をとることができる事項に関するというべきであるから、その余地がないことを前提としてなされた本件判定には瑕疵があり、取消を免れないというべきである。
四 まとめ
よって、原告の請求は主文の限度で理由があるからこれを認容し、その余の請求は理由がないのでこれを失当として棄却することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条、九二条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 福田晧一 裁判官 潮見直之 裁判官 菱田泰信)